人材をお探しの企業様仕事をお探しの方会社概要採用情報
TOP当社の強み取扱い業種お客様の声派遣・紹介の流れQ&A
総合TOP > 人材をお探しの企業様 > 今月のジョイント通信 >  ホンダの躍進の秘訣
MENU
当社の強み
取扱い職種
お客様の声
Q&A
今月のジョイント通信
人材獲得のヒント
流し読みでわかるシリーズ

ホンダの躍進の秘訣

中小企業診断士 富永 秀和
TEL03-6789- 2387
e-mail info@globalance.co.jp
http://www.globalance.co.jp/

昨年は任天堂、今年はユニクロやニトリの好業績が話題になっていますが、 1960 年代のホンダの躍進ぶりは、それ以上のものがあります。今回は、大躍進の秘密を紹介します。
ホンダがオートバイの輸出で米国に進出したのは 1959 年のことです。当時、米国のオートバイ市場は、年間販売台数が 4 ~ 5 万台、登録台数が約 50 万台でした。それが 1974 年には、ホンダだけで約 150 万台の販売を行うようになりました。 (大きな市場の創出) 1960 年頃の米国のオートバイ市場は、第二次世界大戦の戦争特需がなくなり、クルマ市場に代替されてしまい、衰退期にありました。バイク需要といえば白バイ(警察)とレースマニアや革ジャンを着たアウトロー・ユーザー需要だけという状況でした。 その中にあって、ホンダは、全くの新規ユーザー(未使用者)をターゲットにして参入し、新たな市場セグメントを作り出し、バイク市場を成長市場に変えたのです。 商品は、 50cc の「スーパーカブ」で価格は 250 ドル以下です。一方、ハーレーダビッドソンなどの旧来のメーカーの商品は、 500cc 以上のオートバイで価格は 1,000 ~ 1,500 ドルです。同じオートバイといっても、都市的で良識的な若者をターゲットとし、日常の暮らしに密着した手軽な乗り物としての新しい価値を訴求する全く新しい市場、しかも、大きな市場を創出することに成功したのです。 この戦略は、最近の任天堂も踏襲し、 Wii や DS など操作が簡単で手軽に楽しめるゲームの開発により、マニアックなユーザーに偏りがちだったゲーム市場に新しいユーザー層として女性や高齢者を取り込むことで市場の拡大に成功しました。 (失敗が成功の素)

中心商品として 50cc の「スーパーカブ」を戦略的に選択したことが成功要因であると信じられていますが、実際は、消去法で 50cc の「スーパーカブ」しか販売商品として残らなかったのです。 1959 年当時、日本国内では 50cc のスーパーカブが大人気だったのですが、全てが大きくて贅沢な米国ではスーパーカブは売れないと思い、また、いかにも小さいスーパーカブを前面に出すことは、自社イメージを傷つけるのではないかと恐れ、最初の 8 ヵ月はスーパーカブを市場に出さなかったのです。そして 250cc と 305cc のオートバイを当初は販売の中心に据えたのです。しかし、米国では非常に長距離をかなりの高速で乗りまわすために、流石(さすが)のホンダの大型バイクも耐え切れずに、何と相次いで故障が続出したのです。それで売り物が無くなったホンダは、止むを得ず、 50cc のスーパーカブを市場に投入することになったそうです。 これが意外に人気となり、中流階級の新しいタイプの新規ユーザーの取り込みに成功したのです。そして、ホンダのスーパーカブに満足した顧客が、段々と大型のバイクにも乗るようになり、売上げが急上昇する結果となったのです。 (確りと運を掴む) 「スーパーカブ」が売れ始めたのは運(偶然)ですが、それを大きな流れにしたのは、経営陣の勇気と決断力でした。 1962 年度にアメリカン・ホンダの年間総販売台数は 4 万台を突破しました。これは 3 年前の全米年間販売台数にも匹敵する台数です。しかし、アメリカン・ホンダの社長は、それで満足しないで、 1963 年度の販売目標を、前年度の販売実績の 5 倍増に当たる 20 万台に設定しました。アメリカン・ホンダのスタッフたちは、この数字を聞いて驚きましたが、社長はモーターサイクルに乗る人たちの社会的評価とアメリカン・ホンダの商品の知名度をさらに高めていくことができれば、不可能な数字ではないと考えていたのです。この点は、現在のユニクロの強気の目標設定に酷似していますね。 そして、多額の広告宣伝費を投じて「良い人は皆ホンダに乗っている (You meet the nicest people on a Honda) 」と謳った大キャンペーンを展開したのです。このキャンペーンの結果、ホンダのオートバイは新しいおしゃれな乗り物として社会に認知され、米国の一般家庭にオートバイという文化が広がり、誕生日やクリスマスのプレゼントとしても人気を集めるほどになりました。その反響の大きさたるや当時のケネディ大統領は「ホンダがアメリカの青少年に新しいライフ・スタイルを与えた」と池田首相に語ったほどです。 更に、 1964 年のアカデミー賞授賞式でのコマーシャルの放映に踏み切りました。アカデミー賞授賞式は全米が注目する一大イベントであり、そのテレビ放映番組は 7 、 8 割を超える高視聴率を誇るため、この番組で CM を流せば、アメリカン・ホンダの名前を一気に全米中に広められることは間違いありません。問題はその放映料ですが、 1 分 30 秒の CM で 30 万ドル(当時の換算レートで約 1 億円)という高額なものでした。それでも米国社長は「勝負どころはそんなに何回もあるものではない」と思い切った決断を下しました。幸い CM は、予想以上の反響を呼びました。ホンダの販売店を新たに始めたいという人々が急増し、全米中の一流企業から、「当社の販売促進キャンペーンの商品としてスーパーカブを是非利用したい」といった、タイアップの申し込みが殺到したそうです。こうした積極的な広告宣伝戦略を実行することにより、運を実力に変えたのでした。

メールマガジンに登録 メールマガジンに登録
その他の記事も読む その他の記事も読む
人材をお探しの企業様 人材をお探しの企業様
メールでのお問い合わせ
MENU
当社の強み
取扱い職種
お客様の声
Q&A
今月のジョイント通信
人材獲得のヒント
流し読みでわかるシリーズ
PAGE TOP