売買をせん人は、先ず得利の増すべき心づかひを修行すべし
ご存知のように江戸時代の商人は、モノを売るだけで利益を得る卑しい存在であると考えられており、「士農工商」の身分制度の最下層におかれました。
このような風潮は現在まで脈々と続いており、日本では未だに何故かお金に関することを考えたり話題にしたりすることをタブーとする風習が浸透しています。それどころか、恐ろしいのは、金儲けは悪いことだと思い込んで無意識のうちに仕事にブレーキをかけている危険性があることです。
さて、仏教ではビジネスをどのように考えているのでしょうか。仏教は意外とビジネスに否定的ではありません。むしろ、利益追求に積極的であるべきだと主張する僧侶も少なくありません。
代表的な僧侶は、江戸時代の禅僧、鈴木正三です。鈴木正三は元々、徳川家康に仕える武将でしたが、42歳のときに、突如、武士を捨て、禅僧となったのです。
その鈴木正三は、「商人日用」のなかで商人の心得を述べており、「売買をせん人は、先ず得利の増すべき心づかひを修行すべし(売買をしようとする人は、まず徳利の益すべき心づかいを修行しなさい)。」 と述べて、商人は先ず金儲けを追及すべきことと教えています。つまり、積極的に利益追求を肯定しています。
その「心づかひ」とは、「私欲を捨てて正直に生きろ」ということです。Honesty is the best policy(正直は最善の策)です。具体的には、次のように諭(さと)しています。
「正直の人には、諸天の恵み深く、仏陀神明の加護ありて、災難を免れ、自然に福をまし、衆人に敬愛され、万事心にかなうようになり、これにたいし私欲をもっぱらにして自他を隔て、人を抜きて利を得んとする人は、天道たたりありて、禍をまし、万民の憎しみをうけ、衆人の愛敬なくして、万事こころにかなわざる仕儀にいたる。
この売買の作業は、国中の自由をなさしむべき役目の人びとに、天道よりあたえられたるところとおもい、身を天にまかせて利を得んとする心たゆみなく、つねに正直をむねとして商いすれば、火が乾けるものにつき、水が低きに下るように、万事心にかなうにいたるべし。」
要は、我利我利はダメで「自利利他」の精神が大切だと説いているわけですね。
(利益というものは尊いものである)
因みに、経営の神様の松下幸之助氏も「利益というものの尊さ」について次のように述べています。
利益というものは尊いものである。どっちの字を取ってみても悪い意味は少しも含まれていない。それは自分をうるおすだけでなく、人をうるおし世の中を潤す。またそれには大きな可能性が含まれている。
世の中は利益を求めて動いていると言っていい。その中には精神的な利益というようなものも、もちろん含まれている。商業や事業をやっていて利益を上げないのは罪悪である。そういう事業なり商売は結局長い間にはダメになる。それは自分をダメにするだけでなく、社会に迷惑をかけずには置かない。
正しい意味の利益とは必ず社会に還元される性質を持っている。そこに立脚していれば、利益を主張することは、少しもやましいことではない。
これで、我々も、後ろめたい気持ちを持たずに商売繁盛に邁進できますね。